マー 君 神 の 子 不思議 な 子。 【ノムさん語録】「月見草」「ID野球」「マー君、神の子、不思議な子」… (1/2ページ)

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マー 君 神 の 子 不思議 な 子

1965年には戦後初となる3冠王に 野村さんは1935年6月29日、京都府生まれ。 峰山高から54年にテスト生として南海に入団し、その後はロッテ、西武で80年まで名捕手として活躍した。 57年に初の本塁打王を獲得。 63年に当時のプロ野球記録となるシーズン52本塁打を放ち、65年には戦後初となる3冠王に輝くなど、当時の日本球界を代表する選手となった。 通算成績は3017試合に出場、2901安打、1988打点、657本塁打、打率2割7分7厘。 MVP5回、ベストナインは19回受賞した。 同時期には巨人で活躍した長嶋茂雄さん、王貞治さんがいた。 「長嶋や王がヒマワリなら、オレはひっそりと咲く月見草」。 圧倒的な人気を誇った両選手と自身を花にたとえた名言は、今でもファンの間で語り継がれている。 スポンサーリンク マー君神の子、不思議な子 この名言、迷言はどのような状況で出てきたか? そう時は2007年8月3日にさかのぼります。 当時野村監督は楽天の監督、対ソフトバンク戦で先発田中将大が打ち込まれ「マー君、神の子、不思議な子」という名言が。 楽天入団1年目の07年8月3日、4回で5失点しながら勝利投手になり、神懸かり的な力に監督野村克也は驚く。 「何点取られるか投げ続けさせたら、天から神が降りてきた。 先祖代々、何かあるんだろうな。 そういう星の下に生まれている」。 しかしゲームが終わってみれば、マー君は負け投手になっていなかった。 これを受けての試合後の野村監督のひとことであった。 2004年は球界再編で揺れたプロ野球界 事の始まりは、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バッファローズの2球団の合併によりパリーグは5球団での運営をよぎなくされた。 10球団の1リーグ制なども検討課題に。 大きな社会問題になった。 選手会側は2リーグ12球団維持を求めストライキに突入。 プロ野球始まって以来の出来事だった。 結果新規新規参入球団が認められIT業界雄の楽天のプロ野球参入が認められた。 しかし、楽天の初期メンバーはオリックスと近鉄のあぶれた選手が中心メンバーだったため、初年度の楽天の成績は38勝97敗1分 勝率2割8分1厘 超ポンコツ球団であった。 スポンサーリンク そこで楽天球団フロントの目に留まったのが、名将野村克也監督。 実績は問題なく、ID野球・野村再生工場などとアイデア豊富なベテラン監督であった。 幾分くどいながら、野球に対する考え方はブレない人物であった。 野村監督の1年目借金38に終わるも、1年目のオフ超高校級の駒大苫小牧の田中将大を獲得。 駒大苫小牧では、2年夏の甲子園優勝投手、3年夏にはご存知現日ハムの斎藤佑樹と投げ合い準優勝投手。 150km近いストレートにスライダーを武器に当時の高校生としてはずば抜けていた。 南海・ヤクルト・阪神・社会人のシダックスと幾多の名選手を育てた野村克也監督も田中将大の実力を認めざるを得ず、1年目から開幕ローテーション投手として登用。 開幕直後の4月に初勝利・6月には初完封、楽天のチーム自体は相変わらず低迷していたが、明るい話題であった。 野村監督も新人に対して「マー君」と親しみを込めて近づくことに。 打たれても不思議に負けない勝負運を田中将大が持っていた。 中でも2007年8月3日のゲームは際立っていた。 先発田中将大は4回までに5失点と乱調、しかし味方の楽天が4・5回で7得点をあげて逆転。 6回を投げ5失点も田中将大は勝ち投手に。 このころ、恒例であったご存知の試合後インタビューで野村克也監督がつぶやいた。 「マー君神の子、不思議な子」と発言。 その後「不思議だね、彼が投げると打線が点を取り返す。 本当に不思議な子だね。 不思議の国のマー君」と続けてコメント。 幾多の勝負を繰返してきた野村監督にはこの日のゲームは完全に負け試合。 それから6年後26連勝を達成し楽天の優勝に貢献した田中将大の将来を当時の野村克也監督は見透かしていたのかもしれないです。 野村克也監督のご冥福をお祈りします。 スポンサーリンク 野村克也のプロフィール 野村 克也()は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家、タレント。 プロ野球では南海 、ヤクルト、阪神、東北楽天の監督を歴任したほか、日本体育大学客員教授なども務めた。 選手としては、史上2人目の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王 、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算打席数1位(11970打席)、通算打数1位(10472打数)、通算犠飛数歴代1位(113犠打)、通算併殺打1位(378打)、ベストナイン19回受賞で1位などの記録を持つ。 特に1963年に記録した52本塁打は後に1985年に落合博満も記録するが、その落合と並んで日本出身の日本国籍選手における1シーズン最多本塁打記録である。 また、監督としても「平成」(1989年1月8日 — 2019年4月30日)期間の最多勝利記録(1,053勝)を保持している。 スポンサーリンク.

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出身地:兵庫県伊丹市 生年月日:1988年11月1日 31歳 身長:190. 5cm 体重:97. Instagram(インスタ)から抜粋。 制球力も高く、外角低めを意識した投球で多くの打者から三振を奪ってきました。 また、ピッチャーに重要な要素のひとつでもあるメンタル面が強く、ピンチに陥っても冷静さを崩さず、安定した投球でチームに大きく貢献します。 ファルケンボーグのスプリットを武器に 速球と変化球を巧みに操る田中将大選手ですが、その中でも特に得意としているのがスプリットです。 楽天の守護神ブライアン・ファルケンボーグが野球雑誌に握り方を公開しているのを田中選手は参考にして修得。 今では伝家の宝刀として、田中選手の代名詞ともなっています。 グランドを離れると純朴なキャラクター グランドでは常に真剣な顔つきで笑みを零さず、気迫だけで打者を打ち取ってしまうのではないかという表情を浮かべる田中将大選手。 そんな田中選手もグランドを一度出れば、柔和な顔つきでなんとも可愛らしいキャラクターへと変貌します。 明石家さんまさん、上地雄輔さん、浅田美代子さん、里田舞さんとの記念撮影。 Instagramから抜粋。 史上最強のアイドルオタク 田中将大選手のプライベートでは 「アイドル好き」を公言しています。 田中選手はCD収集だけでなく、 練習用のグローブや2012年以降の入場曲をアイドル仕様にするなど、アイドルにかける情熱は並々ならぬものです。 一部では、田中選手を 史上最強のアイドルオタク(ドルオタ)とも呼んでいます。 また、田中選手はツイッター(Twitter)を通じて様々なアイドルメンバーを応援しており、話題に事欠かない人物でもあります。 田中選手は2012年以降の登場曲のほとんどが 「ももいろクローバーZ(ももクロ)」の楽曲を使用しています。 バラエティ番組で共演するなど、仲が良いようです。 「走れ! 」 ももいろクローバー(2012年)• 「ファースト・ラビット」 AKB48(2012年)• 「overture」 ももいろクローバーZ(2013年)• 「DNA狂詩曲」 ももいろクローバーZ(2013年)• 「My Dear Fellow」 ももいろクローバーZ(2014年)• 「勝手に君に」 ももいろクローバーZ(2015年)• 「GET Z, GO!!!!! 」 ももいろクローバーZ(2016年)• 「何時だって挑戦者」 ももいろクローバーZ(2017年)• 「吼えろ」 ももいろクローバーZ(2018年)• 「背番号」 ももいろクローバーZ 2019年 上の動画は2019年の登場曲として使用された、ももいろクローバーZの 「背番号」です。 ちなみにこの楽曲は 「GReeeeN」が制作を担当しました。 田中選手のために作られた曲といっても過言ではないですね。 田中選手の主な経歴を紹介! ここでは田中将大選手が獲得したタイトルについて触れています。 2011年以降から徐々に頭角を現しており、2013年には7つものタイトルを獲得するなど、名実ともにプロ野球界を代表する投手となりました。 現在はメジャーにて強打者を相手に戦う田中選手。 Instagramから抜粋。 今も語られる甲子園での熾烈の戦い 北海道の駒大苫小牧高校に進学した田中将大選手。 3年生の時にはエース兼主将を務めており、第88回全国高等学校野球選手権大会へとチームを引っ張ります。 そして、早稲田実業高等学校との決勝戦は今でも語られています。 決勝戦では3回途中からリリーフとして投げ、 延長15回まで1失点という粘り。 その試合は引き分けで終わり、なんと 37年ぶりの決勝引き分け再試合を実現させました。 再試合でも1回途中から登板し、前日の疲労から3失点を取られてしまいますが、7回まで投げ抜く気迫を見せつけました。 しかし、早稲田実業が3-4の1点差でリード。 自身が最後の打者となって敗れてしまいます。 マウンド上で雄叫びを上げる高校時代の田中選手。 Instagramから抜粋。 MEMOちなみに春夏12試合の通算成績は8勝無敗でした 最高年俸で楽天に入団 田中将大選手は高校時代の成績や、決勝戦での熾烈な戦いが評価され、その年のドラフト候補に選ばれます。 北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名を受け、くじ引きの結果、楽天に入団することが決定しました。 田中選手のその時の 契約金はなんと1億円。 そして年俸は1500万円という驚きの額で契約を交わしました。 マー君 神の子 不思議な子 田中将大選手は高卒ルーキーながらも、当時の野村克也監督から 「マー君は、実践でどんどん経験を積ませていった方が絶対に伸びる」という方針で、開幕から一軍ローテーション入りを果たします。 公式戦初登板では田中選手もプロの打者に苦戦していました。 しかし、すぐにそれを修正すると高卒ルーキーでありながらプロの強打者を抑え込み、エースの片鱗を覗かせました。 また、運が強いのか、田中選手が登板した日にリードを許しても、その後打線が爆発。 田中選手の負けを帳消しにしてしまう事態が相次ぎます。 このことに関して野村監督は報道陣を前に、 「マー君 神の子 不思議な子」 と、得意のボヤキで田中選手の不思議な力を評価していました。 なんとスタンプまであるようです。 Instagramから抜粋。 最年少でWBC日本代表に選出 田中将大選手は着々と実力をつけていき、2008年には北京オリンピック野球日本代表に選出され、翌年の2009年には最年少でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として活躍しました。 2011年には 田中選手初となる沢村栄治賞(沢村賞)を受賞し、名実ともに楽天のエースとして、そしてプロ野球界を代表する投手の一人となりました。 異次元の投球でギネス記録を達成 そんな田中将大選手がギネス世界記録(ギネス記録)を達成します。 WBC日本代表に再び選ばれた2013年。 田中選手は開幕から連勝記録を重ねると、8月2日の日本ハム戦においてプロ野球タイ記録となる 開幕15連勝を達成します。 開幕からの20連勝で世界記録達成 続く9月6日の日本ハム戦での勝利で開幕20連勝を飾り、稲尾和久の単独シーズン20連勝のプロ野球記録に並びました。 開幕からの20連勝は、1912年のルーブ・マーカードが記録した19連勝を超える 世界記録でもあります。 優勝、胴上げ、そして24連勝 9月26日の西武戦ではリリーフ登板を務め、ランナーを抱えるも最後はストレートで抑え、 楽天史上初の優勝を決めました。 田中選手は胴上げ投手となり、最終成績はなんと 24勝0敗1セーブという、まさに怪物と呼べる記録を叩き出し、NPB歴代新記録の 勝率1. 000、 防御率1. 28を記録して、 沢村賞を受賞しました。 実際にリーグ優勝を果たした際の動画です。 そして日本一へ そしてその連勝記録とともに田中選手は読売ジャイアンツとの日本シリーズに臨みました。 巨人打線に打ち込まれるも、チーム一丸となって喰らいつき、第7戦までもつれ込んだ試合で最後のマウンドに上りました。 そして巨人を制した楽天は、 球団初となる日本一を達成し、田中選手はレギュラーシーズン、クライマックスシリーズに続いて3期連続の胴上げ投手となりました。 The most consecutive baseball games won by a pitcher in a single season is 24. (1シーズン連続勝利記録:24連勝) (「1シーズン記録」のみがカウントされる記録です) おそらく、この記録は今後も破られることはないでしょう。 それだけ驚異的な数字であり、これを達成した田中選手は、改めて素晴らしい投手であることを実感できるでしょう。 名門「ニューヨーク・ヤンキース」で活躍 前述した記録を達成した田中将大選手は、以前よりメジャー挑戦を希望しており、ポスティングシステムを行使して、メジャーの名門 「ニューヨーク・ヤンキース」へと入団します。 この時の田中選手の契約金は、 7年で総額1億5500万ドル。 日本円でおよそ170億円という額での契約を結びました。 メジャー屈指の選手たちと共に戦う田中選手。 Instagramから抜粋。 メジャーの打者相手に圧巻のピッチング メジャーへと移籍した田中将大選手は、開幕ローテーション入りを果たし、デビュー戦でのトロント・ブルージェイズ戦において7回3失点と好投し、メジャー初勝利を飾りました。 オールスターにも選出され、前半戦終了時点で12勝4敗の成績を残しました。 しかし、一時は右肘の靭帯を断裂するなどで故障者リスト入りのアクシデントもありました。 その後も好不調の並はあったものの、 2019年時点で日本人投手初の6年連続2桁勝利を達成し、メジャーの強打者相手にも通用することを示しました。 メジャーの舞台で強打者を相手取る田中選手。 Instagramから抜粋。 田中選手の海外の反応は? メジャーでも屈指の名門であるヤンキースの投手として活躍する田中将大選手。 大型契約で渡米した日本人投手を海外はどのように評価しているのでしょうか。 海外の反応について触れてみます。 海外の反応はやや辛口 田中選手は得意のスプリットなどで強打者を相手に立ち回る一方、大量失点による炎上が問題視されています。 さすが野球の本場であるだけに、ほんの少しの隙が失点に繋がってしまいます。 海外のメディアでは 「恐ろしいほどの確立で被弾」など、田中選手の実力に疑問視する声も上がっています。 また、右肘を故障したことにより、田中選手は 「時限爆弾持ち」であると辛辣な言葉も投げかけられます。 日本以上に実力が全てを物語るメジャーでは、どんなに日本で活躍しても、それは井の中の蛙でしかないのかもしれません。 一部では田中選手の活躍を評価 しかし、中には 「マサヒロ・タナカは過小評価されている。 正当な評価をするべきだ」という声も挙がっています。 一部のメディアやファンの中にも田中選手を擁護する声があり、田中選手の海外の反応は半々といったところでしょう。 様々な声が挙がっていますが、今年で契約が最終年となる田中選手の活躍を見守りましょう。 田中選手のお嫁さんは里田まい 現在、ヤンキースで活躍する田中将大選手を支えるのは、日本の歌手、バラエティタレントでもある里田まい(現:田中舞)さんです。 田中選手が楽天に所属していた2012年1月26日に結婚を発表し、3月20日に正式に婚姻届を提出して、結婚へと至りました。 結婚後の現在は、田中選手をサポートするために主婦業を優先。 芸能活動は休止しており、田中選手がヤンキース移籍にともない、自身もニューヨークへと移住しました。 2020年で結婚8年目を迎える 2020年の3月20日で結婚8年目を迎える田中将大選手と里田まいさん。 現在も仲睦まじく、田中選手は「これからもよろしくお願いしますね」と最愛の妻へ向けてメッセージを送っていました。 画像は田中将大選手のInstagramから抜粋したものです。 2人の笑顔が仲の良さを物語っています。 一方こちらは里田まいさんのInstagramからの抜粋です。 お茶目な田中選手の姿に、こちらも笑顔にさせられてしまいますね。 現在では2人の子供が そんな田中将大選手と里田まいさんの間には、2人の子供が産まれています。 2016年には第一子となる男児が誕生しており、2019年には第二子となる女児が誕生しています。 今年で結婚8周年を迎える2人を応援する声も多く、田中選手も家族のために今後も活躍してくれるでしょう。 ファミリーデイにて、息子と野球を楽しむ田中選手。 Instagramから抜粋。 最後に… 以上、田中将大選手の紹介でした。 今年で契約最終年となる田中選手の活躍がどのようなものになるのか。 そして、去就など気になることが多くなる年でもあります。 田中選手の今後の活躍を期待して、ファンも応援しましょう。 ここまでご覧いただきありがとうございます。

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『マー君、神の子、不思議な子』シーズン24連勝という大記録を達成した日本のエース【田中将大】

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「ボヤき」が代名詞だった野村克也氏は、数々の印象的な言葉を残した。 09年には「ボヤき」が新語・流行語大賞でトップ10入りし「ボヤきが出るのは元気な証拠。 ボヤかなくなったらご臨終です」とスピーチ。 もう聞くことはできない野村語録を紹介する。 「プロ野球界は一般社会とつながっている。 これだけの不況の中で、リストラが進んでいる。 同じ世代のためにも頑張らねばと思い、最後のご奉公と思って決心した」(98年10月に阪神監督就任) 「スーパーカーはもう古い、これからの時代はF1」(赤星憲広ら俊足7選手を、かつての大洋のスーパーカートリオ=屋鋪要、高木豊、加藤博一=を意識してネーミング) 「いい嫁さんもらわんと一生の不覚や。 サッチー(沙知代夫人)は嫁としては理想じゃないが結果的には福まん、あげまんですよ」(阪神監督時代の99年、当時独身の新庄剛志に結婚のススメ) 「私のような年寄りにはチームがまとめられないと、オーナー(故久万俊二郎氏)に相談しました。 見えないものを見る、感じないものを感じる。 そこから戦略、戦術が生まれるんで、これからの野球は形にないものを戦力にしていく必要があるんや」(02年の社会人・シダックス監督時代に) 「個人的に予告先発は大反対。 勝負事は読み合い。 試合前から試合は始まっている。 知恵を絞り、頭を使ってやるのが野球。 ああいう制度があると監督も育たない」(楽天監督就任が決まった05年11月、予告先発制度の廃止を提案) 「昔は銀座の店で取材した。 他球団の選手の席についた女の子の名前は全部、覚えてささやいた」(07年に大学・社会人ドラフト3位入団の嶋基宏へ伝説の「ささやき戦法」を直伝) 「うちには天才バッターはいない。 二流には二流なりの打ち方があるのに」(貧打が続く楽天打線にボヤき) 「(組織票を)やったな。 (IT企業だから)楽天はお手のもの。 オールスターの意味がなくなる。 ファン投票中間発表で楽天勢がパ・リーグ10部門のうち7部門でトップとなり) 「マー君、神の子、不思議な子。 不思議の国のマー君。 調子も最悪。 何点取られるか投げ続けさせようと思ったら、天から神様が降りてきた」(楽天監督時代の07年8月3日のソフトバンク戦。 勝てばいいってものじゃないよな。 やっぱり、ボヤきは永遠なり。 勝ってボヤき、負けてボヤき。 気持ち良く帰れる日はいつの日ぞ」(08年4月2日のロッテ戦。 2点差の9回2死一塁で、相手走者の矢野が盗塁に失敗してラッキーなゲームセット) 「長い間やっていれば、いろんな記録ができる。 新記録続行中だろ。 不滅の記録を残す。 悪い記録は俺に任せろ」(09年4月11日の西武戦に敗れ、史上初の監督通算1500敗目) 「神様、仏様、田中様。 稲尾2世ができたな。 神様ありがとう」(09年4月14日のロッテ戦で先発・田中が2試合連続完投勝利).

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