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一度「この曲はすげえ」というエントリーを書いたのだが、もっとうまくまとめられるなあ、と思っているので、あれにはいずれ加筆する。 さて、私は基本的に曲や歌詞の読み解き・解説・解釈のようなものは好きではない。 まず解釈に正解や不正解はない。 あったとすれば、作者が何を意図したか、でしかない。 作者としての感情、は作者としての私の感情しかわからないが、「思ってたんと違う解釈をされる」のは楽しかったりする。 ただ、受け取り手として、自分とは違う解釈をしたものを見ると悲しくなることがある。 だから見るかどうかはお任せする。 まあ全てのことにおいてそうだ。 解釈違いは間違いではない、「あなたはそう見えるんですね!面白い!なんで?!」とお話をしたらいいと思う。 というエントリーがこちら。 このブログで触れられているnoteでは光GENJIをキリストとして描いた、という仮説が立てられていた。 その仮説を真だとすると、荒野のメガロポリスを中心とした作品がスルスルと読める気がするのだ。 授業でナサニエル・ホーソーンの「Young Goodman Brown」という作品を扱っている時、ピューリタニズムの通う作品においてforestやwildernessという単語はキリスト教の光が届かない異教の地という解釈ができる、と聞いた。 キリスト教は光の宗教だと、個人的には思っている。 光の届かない場所は、恐ろしい場所なのだ。 そこが今回の読み解きの出発点だった。 歌詞フルは ・光の扱われ方 さて、「荒野のメガロポリス」のサビでは 誰か 愛を投げて 夜を止めて 愛を投げて 光ごと と歌われる。 旧約聖書「創世記」で、混沌の闇の中に神が最初に創られたのは「光」だ。 =夜(闇)が止まった のだ。 「光を投げて夜を止める」という発想はキリスト教を想起させる。 ・「命を返す」とはなんなのか Cメロにて 命を返す時間が来たよ 冷めた太陽 ささやいている 命を返す時間が来たよ 溢れる涙 何処に誰に使えばいいの という歌詞がある。 しかもここは二拍三連が使われており、印象に残る部分である。 「命を返す」とは一体なんなのか。 光GENJI=キリストの前提に立って、これを「イエスの十字架」と解釈することはできないだろうか。 イエスの深い愛は、いつも弱いものに寄り添うものであった。 きっと「涙を誰かに使っている人」であっただろう。 ・時代と聖書 日めくりが底をつく 硝子の玉に映る 枯れた荒野メガロポリス 崩れて行く時代の景色 これらは改元・バブル崩壊・世紀末などのことだと思う。 ただ、「荒れた世界を元通りにする」という感覚は新旧約聖書にずっと漂っている空気感で、このキリスト教を前提とした世界観に一致する。 というか聖書の世界はいつの世にもアダプトするものだ。 荒れた世界、という夜を神の愛(=光)によって止めてほしい、とイエスが神に乞う歌と考えることはできないだろうか。 これはファン心理かもしれない。 この歌をキリストと神の対話とすることはできないだろうか。 歌詞のフルは ・星について まず注目したいのが、 懐かしそうに夢を語る時間じゃないよ 星はいつも朝のために キリスト教と「星」といえば、イエスが生まれる時に博士を導いた「ベツレヘムの星」だ。 ベツレヘムの「星」が導いたのは「夜明け=キリストの誕生」だった。 光GENJIと「星」といえば、やはり元祖絶対的センター・諸星和己だろうか。 誰もが認める「センター」はグループやファンを導く存在であったのではないかな、と思いを馳せてしまう。 それから、デビュー曲は「STAR LIGHT」だった。 これはジャニーさんが影響を受けたミュージカル「スターライト・エクスプレス」から来ているに他ならないが、大ヒット作「パラダイス銀河」も合わせて、なんとなく「星」と縁のあるグループだな、と思う。 ・神さまとの対話 イントロは賛美歌を想起させるコード進行をしている。 そこに続くのが 神様を信じてる ほんの少し想うよ である。 つまり、この歌の歌い手はまず「神様」ではない。 もしも僕たちが 優しさなくせば 今度ばかりは神様 あなたのミステイク ここでも「神様」ではない。 ではサビ(?)はどうか 愛を投げましょう 夜を止めましょう 未来の鍵は神様 あなたのエスコート 違和感がやってきた。 「荒野のメガロポリス」と対になっている「愛を投げる」「夜を止める」という歌詞。 「荒野〜」で乞うていたことに対して「〜ましょう」と言っている。 「未来の鍵は神様〜」はキリストからの言葉だとすると、「愛を投げましょう」は神の言葉なのではないだろうか。 ここのミックスが好きで、なんというかかなり遠くに聞こえる。 それはそれでそうなのだと思うのだけれど、もう一つの考え方として、愛を投げてくれているのはかみさまだ、というのもあるかと思う。 つまり、ここは神とキリストの会話だとすることはできないだろうか。 ・余談だが こわれるほど誰かを 抱き締めつづけたいな という歌詞、今ほど染みる時はない。 これも飛鳥涼によって作られている。 この3作の流れも含め、キリスト教・聖書をベースとした読み方ができる。 聖書という書物や聖書の言葉は、4歳から聖書に親しむ私にとっていつも支えであった。 そういう優しくて光の溢れる考え方が流れている曲は、やっぱり私にとって支えであり、救いであり、味方であるな、と思う。 物語」という曲がある 歌詞は 創世記だ〜! 光GENJIはキリスト、という前提はないものとして存在する歌。 (振り付けと曲が大好き!) 日本がキリスト教の国で、デビューアルバムで提示された(されていたらしい)その前提や、飛鳥涼が描き出したキリスト教の匂いをファンがかぎ取っていたら、問題になるかもしれない。 そうやって宗教の様々な考え方を跨げるのは、日本という国の面白さなのかな、と思う。 もう一つ。 「AMATERASU」という曲がある。 タイトルは天照である。 (歌詞は) そこに出てくるのが 僕たちの創世記(ジェネシス) まんまだ!笑 アマテラスと創世記という単語は相容れない。 それでもそれらをスルッと飛び越えて歌えて、聞けるのは我々が日本という宗教的に不思議な国に生きているからではないだろうか。 面白いね。 ・・・・・・・ つらつら書いてきたけど・・・・ 要はめちゃめちゃこの曲が好きだ。 いつもいつも救いだ、と思って聞いている。 ここまで深い読みができる曲というのもまた面白い。 詩も、光GENJIも、私を救ってくれている。 作品というのはすごい。 30年の時を超えて、人を救う。

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「荒野のメガロポリス」とキリスト教の話|やまこしひなこ|note

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甲斐バンドの82年のアルバム『 虜-TORIKO-』は、 アメリカの名エンジニアであるボブ・クリアマウンテンとの共同三部作の第1弾です。 ボブ・クリアマウンテンのミックスですから、音響的に素晴らしいのはもちろんのこと、作品の内容としても、初期~中期の甲斐バンドが持っていたウエット感と、上記三部作の特徴であるアメリカン・ハードボイルドのような乾いた感覚が絶妙にミックスされた傑作となっています。 そして、このアルバムの最後に収録されているナンバー 「 荒野をくだって」は、 甲斐バンドの全楽曲の中でも、とりわけ異色の作品となっています。 甲斐バンドの楽曲を特徴づけている要素の一つとして挙げられるのが、甲斐よしひろのあの独特のハスキー・ボイスであることに疑いの余地はありません。 それも、単に枯れているだけの他のハスキー・ボイスのミュージシャンとは異なる、日本的な情感、艶、ウエット感を内包した、彼独特の個性を持った声質が、彼の書く詞の内容とマッチして、独特の世界観を形成し、作品の個性として光輝くこととなっているのです。 しかし、この「 荒野をくだって」において、もの悲しく響くアコースティック・ギターのアルペジオとハーモニカに乗って歌われるその曲中で、彼(甲斐さん)は敢えてそのハスキー・ボイスを封印し、ボブ・ディランのように、言葉を放り出すような唄い方をしているのです。 そこにあるのは、まるで、この世の中の全てを投げ出すような、ある種の虚無感…。 この曲を初めて聴いた時から、私はある疑問をずっと感じていました。 『何故この曲だけ、こんな唄い方をしているのだろう?』 そして、その謎は、ずっと解けないままでした。 しかし、先日購入した甲斐よしひろの5枚組のBOXセット『 Highway25』のブックレットの解説(音楽評論家の萩原健太氏が執筆)を読んだ時、初めてその謎が解けたのです。 そのブックレットには、ある種、衝撃的な事実が書き記されていました。 いや、「 胸いっぱいの愛」か「 GOLD」だったか。 とにかくコンソールの前に俺は座っていた。 その瞬間、ふいに、すべてをやめたくなった。 ものすごい無力感におそわれ、何もかもすべてを捨てたくなった。 今、やっていることをほうり出して、この状況から、このシステムから一切合切おりたくなった。 躍動感というには脆いリズム・セクション、イマジネーションのやりとりはあっても微妙にすれ違ってしまう上物(うわもの)の楽器群。 彼はこう答えてくれた。 「『 虜-TORIKO-』を録り終えたとき、そういう感触があったかな。 あのとき、因数分解が始まった。 (後略)」 以上、甲斐よしひろ『 Highway25』ライナーノーツより そういうことだったのか…。 彼(甲斐よしひろ)にとって、そのアルバム( 虜-TORIKO-)で甲斐バンドは実質的に終わってしまっていたのだ。 そのライナーノーツを読んだ時、 あのアルバムのラスト・ナンバー(「 荒野をくだって」)の虚無感の理由が、ようやく分かった気がしたのです。 よりよい世界 夢みながら 眠りにつく時がある だけど沈んだままの心で いつも目をさます 寂しげなエンジンの音が 車の中にうずまき 真夜中 人影もない道を 俺は一人ゆく 荒野をくだって 赤く灼けついたあの 荒野をくだって 街ざかいのハイウェイを西へ ある時、九州の片田舎にロック好きの青年がいました。 彼は地元の仲間3人とバンドを組み、上京します。 コンテストで優勝した彼らは、まもなくレコードデビューしました。 地道なライブ活動を続けた結果、観客動員数もレコードセールスも徐々に増えていく中で、 ある日、ついに、ヒット・チャートの1位を獲得します。 シングルに続きアルバムもチャートの1位に送り込んだあと、 ライブにおいても、ロックの聖地と言われた日本武道館を制覇。 しかし彼らはまだ走ることを止めませんでした。 NHKホール、花園ラグビー場など、未だ誰もライブをやったことがない会場を次々と開拓していくことで、ヒット・チャートだけでなく、ライブ・バンドとしても頂点に立つのです。 ライブ・バンドとして頂点を極めた彼らは、次なる目標を最高のスタジオ・アルバムを創ることに定めます。 そのためには、最高の音づくりをしなければならない。 彼らが選んだのは、世界的に有名なレコーディング・エンジニアである、ボブ・クリアマウンテンでした。 ボブがこの仕事を引き受けたのは、決してお金のためではありません。 ボブは彼ら(そのバンド)の音楽性に共鳴したのです。 その証拠に、ボブの公式ホームページのディスコグラフィーには、今でも Kai Band という文字と、その3作品の名が記されています。 ヒット・チャートとライブの世界で頂点を極めた後、レコーディング・アーティストとしても、世界一の技術を取り入れた作品を創り終え、 摩天楼のスタジオのコンソールから眼下の街を眺めた時、その青年はこう思ったのではないでしょうか。 『もう、やりたいことは全てやり尽くしてしまった…』 若さというものは素晴らしい。 富も、名声も、文字どおり手元には何一つないけれども、 彼らが幸せなのは、 この先に、それら(富や名声)が手に入れられる確実な保証があるからではありません。 この先が見えないこと、それこそが彼らの一番の幸せにほかならないのです。 そして、若者は、富や名声や地位を少しづつ得ていくことと引き換えに、人生の先にある不確実性を失っていきます。 そして、いつしか、人生の山の頂点に立った時、目の前に見える下山ルートは、上り道と違って、その道筋がほぼ見えてしまっているのです。 でも、私はそれでいいと思います。 例え若さがなくなっても、先が見えてしまっても、やりたいことをやり尽くしてしまっても、 そんな時だからこそ歌える唄がある。 若さとは違う、達観や虚無感という名の唄とその美しさを私は信じたい…。 二人をひき裂いたいくつかの つらい出来事を思い出す 美しい月がのぼっていき 家に急ぐ車の流れ テールランブにうかぶ闇 次の街に着くまでに この痛みが消えてることを 俺はいまでも願ってる 荒野をくだって 赤く灼けついたあの 荒野をくだって 街ざかいのハイウェイを西へ 関連記事 人気記事.

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