のっぽ さん と ゴン 太 くん。 できるかな

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のっぽ さん と ゴン 太 くん

概要 ゴン太くんとは、『』という就学前児童向け番組にて、()とともに出演していた《人でもなく、でもない》不思議な。 『』は、からまでで放送されていた。 (からは『』の、からは『なにしてあそぼう』というの番組があった。 はからの登場。 ) 『』の初年度は、とは違うが出演していたが、復帰を願うたちのを受けて、2年にの再登場となった。 そのとしてゴン太くんがにを果たしている(初代)。 放映3年までは動けない(は居るがない)設計だったため、と共にができるようの姿に変わった。 色で寸胴短足、大きない鼻、眠たそうな大きな瞳、の(のが巻かれている)が。 が大好物で、では、後任のにを渡していた。 特徴となる「ウゴ」というは、というの内部の棒を濡れた布で擦る時に出る音。 「太」はでいう「やんちゃ」から来ている。 ・・太の。 番組については「 」の項を参照のこと。 関連商品.

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ノッポさんとごん太くんは今どうしてるの?

のっぽ さん と ゴン 太 くん

NHKエンタープライズ キャラクターページ ウラばなし できるかな ノッポさんの先生 えだつね ひろし(枝常弘) 第八話 久し振りの変身 三月に、ある民放のスペシャル番組でしたが、ノッポさんの案内で、ダチョウ倶楽部の三人がゴン太くんを訪ねて来ました。 東京小平市にある白梅学園短大の八木研究室でしたが、実は、隣の部屋の第一造形室の大きなケースの中に本物のゴン太くんは飾られています。 「うわぁ、ゴン太くんだ、ほんものだぁ」 と三人が喜んで抱き付くと、いきなりゴン太くんが動き出す、と言ったていどのお話なのですが、久し振りに井村さんがゴン太くんの中に入って踊りました。 ノッポさんとゴン太くんが、いや井村さんと並んで踊るのは久し振りのことでした。 三年ほど前にレプリカのゴン太くんが生まれるまでは、ずっと一人。 それまでは時々造形室から抜け出して、ノッポさんと舞台に立っていたのですが、長い間一人っ子でがんばっていたものですから、見た目よりもずっとお年寄りです。 だから目玉や口のからくりが少し不具合を見せるようになっていました。 そんなことでここ数年、本物のゴン太くんは八木教授が厳しく外出禁止にしていましたので、電話での出演依頼を断るのが大変でした。 レプリカの分身が生まれてからは、井村さんの代わりの人も見つかり、今は外歩きも自由になり、本物もゆっくり休めるようになっていました。 そんなところにどうしても、本物のゴン太くんに会いたいと言う話なので、マリ子さんが急いで、不具合だったからくり部分を直して、無事に踊ることが出来ました。 「できるかな」を放送している時には、子どもたちの前で、決して着替えをしなかった井村さんは、ダチョウ倶楽部の三人の前でも脱ぐことをしませんでした。 だれもいなければ、重い頭を取って休むのですが、そうでなければこんな風にしゃがみこんで休みます。 意外に可愛いポーズでした。 第七話 ゴン太くんは三頭身 子どもは大人と比べて頭でっかちに見えます。 頭が重そうで、足元が頼りなげだから、支えてやりたくなります。 ノッポさんより背を低く見せるために帽子をかぶせ、頭でっかちに したのも、可愛いイメージのゴン太くんにしたかったからです。 帽子から下の頭から身体を計ると、ほぼ三頭身です。 イメージとしてはねらいどうりでした。 短い手をバタバタさせながら 短い足でドタドタ走るかっこうは、幼い子どもの姿そのものでした。 もちろん、中に入っている井村さんの演技力によるところが多いと思いますが、形だけでなく、動きもスマートなノッポさんと対照的であったことも、良いコンビになった条件だったなと思っています。 計算違いがひとつ、それは「手」です。 手をバタバタさせて走るだけなら良かったのですが、ものを作る番組ですから、材料や道具を持つ機会が多いのです。 人間のように五本指にしても、野球のグラブのような指では何も掴めません。 かといって、井村さんの手に手袋をはめて出すと、デザイン的にアンバランスで、私としては耐えられませんでした。 四本の指と親指に別れている手袋があります。 ゴン太くんの手はまさにその形で、内側に親指を出す穴をあけてあるのです。 親指だけとはいえ、ひょんなことで見えないとは限りませんから、茶色に染めた薄い手袋をはめていました。 持つ、掴むだけなら、これで十分でした。 ただし、じゃんけんはいつもノッポさんに負けていました。 実はもっと困ったことがありました。 透視図を見ると分かるように肘の関節のところがあごの下、だから、井村さんは自分の腕をせいいっぱい伸ばすことが出来ません。 上腕の部分は頭の中ですから、伸ばせるのは半分だったというこれが、三頭身で可愛さをとったデザインによる欠点でありました。 第六話 三度笠のゴン太くん むかし、キャラクターグッズが流行していたら、こんな三度笠とかっぱを着た旅人姿が東海道を歩いていたかもしれません。 三度笠というのは木枯らし紋次郎のような、流れ者がかぶって旅をしていたものですが、笠の中には丸い輪がとり付けられていて、頭の上にその輪をのせて、垂らした紐をあごの下で結ぶというものです。 ゴン太くんの帽子の中に入っている、井村さんの頭も同じような、仕組みで固定しています。 三度笠はとても軽いのですが、気の毒なことにゴン太くんの場合帽子だけではないのです。 あの大きな顔がくっついていますから、その重さはすべて頭のてっぺんに掛かっています。 当然、頭が少しでも傾くと、首に掛かる負担は想像以上にきついと、井村さんから聞かされていました。 左右に首を振ることも同じと言えます。 若い時は負担でなくても、番組が長く続いている間、だんだん重さを感じていたと思います。 時々、ノッポさんがゴン太くんのあごの下を持って引っ張ることがありました。 ゴン太くんの手が短いので、ノッポさんもつい、あごの下を持って連れて行こうとするのですが、 「ノッポさん、あごの下を引っ張らないでネ」 と収録が終わると、マリ子さんが必ずお願いをしていたのが、印象的でした。 いま思うと、細くて長身のご主人の首が心配だったのでしょうね。 実は、ゴン太くんの手が長くならないのは、デザインのせいです。 それについては、また今度。 第五話 帽子を脱げないゴン太くん むかし動物のぬいぐるみは、お兄さんやお姉さんたちが小さく見えるくらい、みんな大きかったものです。 身体つきはお相撲さん並みでしたが、頭(カシラ)は武蔵丸以上に大きいものですから、当然お兄さんたちと並べば頭一つ高くなったのです。 そこで、ぬいぐるみの中に入る人は、背の高くない小柄な人を選んで、少しでもお兄さんたちより小さく、見せようとしていました。 そして、被っているカシラの目玉は、当然中に入っている人の目と高さや幅の位置が違います。 初代のゴン太くんもそうでしたが、ほとんどのぬいぐるみは口の奥から覗いていました。 新しいゴン太くんはそうしたくありませんでした。 なぜならノッポさんよりゴン太くんを高くすると、ノッポさんをノッポと言えなくなります。 困ったことに井村さんは、ノッポさんと同じくらい背の高い人で、口を覗き窓にすることが出来ません。 どうすればゴン太くんの背を低く出来るのか、そこがデザインのスタートでした。 なにがヒントだったのか、いつ思い付いたのか、今になると思い出せないのですが、帽子をつけて中に入る人の頭を入れる。 すると背が低く見える。 では覗き窓はここに、と思い付いた時、このアイディアはすごい、と自画自賛したものです。 後にディズニーランドに行きましたら、人込みの中でサービスをしているキャラクターの中に、ゴン太くんと同じように帽子のベルトから覗いているのがいました。 やはり小さくて可愛いイメージが必要なキャラクターでしたが、どこでも同じことを考えるものだと思いました。 ここにあるイラストのように帽子を脱いだことはありません。 本当はくっついていますから不可能なのですが、構造的にはこんな風になるから、脱げないと言うわけです。 第四話 ゴン太の足の秘密 ゴン太くん、つまり井村淳さんの足は、ゴン太くんの足を脱いでも「がに股」になってしまった。 なんて面白くするためにオーバーに書いてしまったら、奥さんのマリ子さんから、抗議?のFAXが絵入りで送られて来ました。 夫である井村さんの足は、決してがに股ではないと、言い切るのです。 いつも彼を見ている彼女がそう言うのですから、 きっと間違いはないのでしょう。 また、それだけではなく送られて来た絵を見ると、マリ子さんが作ったゴン太の足には 「がに股予防」の工夫があったのです。 ながい間、できるかなをやっていたのに、ごん太の足に こんな秘密があったなんて、まったく知りませんでした。 ノッポさんだってきっと初耳ではないでしょうか。 何も考えず普通に作れば、大きな足を履かせて 「気をつけてね、歩きにくいから」 の一言で済ませてしまうでしょう。 しかし、マリ子さんの気配りは、プロとしてか、それとも 奥さんとしての愛情だったのか、そこのところは分かり ませんが、上から見て内側に寄っているのが分かります。 これなら普通に立っていられるわけですね。 それでも内側の厚みを意識する必要があるそうですが、 「なるほどね」と、感心してしまいました。 第三話 ゴン太くんは O脚だった ゴン太くんは、あたまとからだ、そして足の三つで出来ています。 初代の、名無しのごんべくんの時も、三つに分かれていましたが、 四角い箱の上に足を投げ出して座っているように、していました。 していました、と言うのは本物ではなくて、飾りものだったのです。 井村さんの本物の足は、箱の中で腰を掛けておろしていました。 飾りものの足を前に置き、井村さんの足で、箱のまま場所を 移動してもらいました。 もちろん、スタジオの端から端までの長旅には、誰かが押して あげるのですが、画面の中でも、ノッポさんの側にいたり、 少し離れていたりしなくてはなりませんから、ある程度は自分で 動くことが必要だったのです。 放送を続けているうちに、箱の上だけでは済まなくなりました。 フロアの上でボールを転がすような、ゲームをする場合など、 どうしても箱を降りることになります。 降りてみると、いろいろな活動が自由になりましたが、 なにしろ見せ掛けの足ですから、立ち上がれません。 中に入った井村さんはしゃがみながら、裾を引きずりの移動です。 やはり、立って歩けるものにしようと、生まれたのがゴン太くん。 なにしろ人間ばなれしている彼ですから、足は横広の三十二文、 人間の感覚で歩くと、左右の足がぶつかります。 どうしても、がに股になります。 気の毒なことに井村さんは職業病 でしょうか、ゴン太くんの足を脱いでも歩き方がおかしくなりました。 スマートでダンディだった彼には、お詫びのしようもありません。 第二話 ゴン太ではなく ごんべだった 昭和46年にノッポさんの「できるかな」が始まりました。 今、初代ゴン太くんといわれているのは「名無しのごんべ」でした。 「けものでもなく、そして人でもない」というキャラクターに付ける名前は、とても難しくてつけられません。 「チョキチョキくん」「ペタペタくん」「ヌリヌリくん」「パラパラくん」その日の番組の中で、主として使う道具や活動を音で表わし、 毎回変わった名前にしよう,ということになりました。 続けて三年間、ときには同じ名前もありましたが、125本は放送がありましたか ら、作家には毎回名前を考える苦労が大変だったのでしょう。 一年目のうちか、二年目だったのか私には記憶がないのですが、 いつしか「ゴン太くん」が決まりになってしまいました。 さて、この初代のデザインですが、製作時間に余裕が無かったので 廃物利用の精神にのっとり、既製品を利用しました。 東京新宿、京王デパート赤ちゃん用品売り場で見つけた、 かぶりものにする頭は、西ドイツ製で楕円形のベビーバスでした。 午前10時開店と同時に、井村御夫妻とエレベーターで 6階(?)に駆け上がり 「井村さん、これこれ、これをかぶってみて」 開店早々、駆け込んできてベビーバスを頭にかぶる男、 ショウケースを拭きながら、目を丸くした店員が興味シンシンながら 見てみぬフリをしていました。 この井村さんが、初代と今のゴン太くんに18年入っていた人で、 奥さんの石井マリ子さんがゴン太の製作者ですから、 デザインをした私がゴン太の父なら、彼女は母にあたります。 今、人形劇団「井村 淳と仲間たち」は小さいゴン太を連れて全国で公演しています。 なんだかわけのわからない いきもの は、 今でこそ珍しくはありませんが、当時は珍しいキャラクターでした。 イヌ、ネコ、ウサギ、クマ、トラ、タヌキ、ウシ、ロバ、カエル、 それこそポピュラーないきものは全部出つくした感じでした。 新番組を作るにあたって、ノッポさんの相手役はお姉さんではない、 人形でもない、とすれば ぬいぐるみ しかない。 当時の構成作家であった山元護久さんが私に注文をしました。 今考えてみると、それほど時間はかからなかったような気がします。 ゴン太という名前は山元さんの命名で、大阪でいうところのやんちゃ坊主らしいのですが、その頃、彼が好むタイプの子ども像でした。

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【キットカットCM】今現在のノッポさんが出演?合成なの?

のっぽ さん と ゴン 太 くん

概要 [ ] 並み外れた長身にをかぶり、言葉を一切話さない不思議なお兄さん「ノッポさん」(演:)と、鳴き声と思われる音(後述)しか発しないの「ゴン太くん」が繰り広げるを、画面には一切姿を見せない「おしゃべり」と称される役が、工作の説明や二人の通訳などを行いながら進行していく。 NHK教育テレビにて、1970年から20年間もの間、長らく就学前の幼稚園・保育園児や小学校低学年の児童に親しまれた。 (ナレーションの声をゴン太くんがしゃべってると思っていた子も多い。 本放送終了後も、ノッポさん・ゴン太くんがNHK・民放の様々な番組に不定期に出演している()。 19年間の放送分の中から、高見と当時のスタッフが厳選した30回分を収録したDVDが2009年12月23日に発売された。 最終回では、それまで20年間「無言」を貫いたノッポさんが、最終回の終盤で「あーあ、しゃべっちゃった」と話したことは大きな話題になり、高見自身その時の心境と経緯を著書『ノッポさんがしゃべった日』に書いている。 番組史 [ ] 放送中 [ ] 『』という子供向け造形指導番組が制作された。 『なにしてあそぼう』の前身。 - 『なにしてあそぼう』というタイトルでスタート。 当初、ノッポさんの相方は「ムウくん」という赤い色をしたの子で、2人で絵を書いたり工作をする番組だった。 - 『なにしてあそぼう』最終回。 これに伴って、ムウくんも降板。 ムウくんは降板した3年後のに、『』のコーナーの1つ「」で再登場した。 『なにしてあそぼう』の終了につき、ノッポさんも一旦降板。 後述するように1年後、視聴者の要望により復帰する。 - 当番組の放送開始。 1年目は『これは…です』というタイトルで放映され 「…」の部分には、最終的に作るものの輪郭が切り抜きスーパーで表示された 、ゴーくん()を中心とした5人のお兄さん・お姉さんが共同で絵や工作をする番組だった。 - 復帰を願う子供たちの声に応える形で、ノッポさんが再登場。 初代ゴン太くん(子供が作ったロボットのような姿をした人形。 動けない設定だった )が、2代目である着ぐるみの姿に変更。 「ゴン太くん」との名コンビが誕生。 - スタート以来、長期にわたって「おしゃべり」を担当してきたがのため急逝。 が後任となる。 - 最終回。 ノッポさんが最終回にして初めて言葉を発する。 番組終盤、ノッポさんたちの後ろから後継番組となる『』(当初は『』の曜日別コーナー)の「ワクワクさん」()と熊の「ゴロリ」が登場。 ナレーターのかずきが「あれ?ノッポさん、後ろに誰かいますよ?ほらほら」と語りかけたのに対し、ノッポさんが第一声「ええ、知ってますよ~」と発声。 お姉さんの「え?今、誰が返事したの?」という言葉に対して「え?僕!」。 「ひゃあ~!」。 それに続いて、「はぁ~、 あーあ、喋っちゃった。 今日はね、特別なんです。 えーとね、長い間ね、みんなと友達でいましたけど、『できるかな』は4月から、あの『ともだちいっぱい』という新しい番組と変わります。 でね、今日はその番組の出演者の紹介です(後略)」と、ノッポさんの発した言葉は、視聴者への別れの挨拶と後番組の紹介であった。 ワクワクさんがノッポさんの手本に続き、折りたたんだ紙から星を切り抜く工作をし成功。 ノッポさんは合格と評した。 本編終了後『つくってあそぼ』の放送開始日時を記した新番組告知画面を表示。 こうして『できるかな』は、『なにしてあそぼう』から23年続いたその歴史にピリオドを打つ。 放送終了後 [ ] 頃 のバラエティ番組『』にクイズ問題としてノッポさんとゴン太くんが出演。 騎士に扮したゴン太君がノッポさんの守るダンボール製の城壁に攻め込むというコントを演じた。 このときに出された問題は「チューリップハットをかぶったこの人の名前は何でしょう? - NHK教育テレビの夏休みの集中企画『算数だいすき』(がメイン出演者)に、ノッポさんとして出演。 このときも、最終回だけ声を発した。 以後も『ノッポさんの工作塾』などNHK教育テレビの夏休み企画に何度か出演する。 相手役はが多い(のライブパフォーマンスでも共演)。 - で放送された、NHKテレビ放送開始40周年記念番組にて、『なにしてあそぼう』が再放送される。 - NHK教育テレビの夏休みの集中企画『ノッポさんのパソコンとあそぼう』が放送され、このときは終始しゃべりを解禁し、優しく親しみのある声と演技力で新たなノッポさんを披露。 相手役の古家と共にパソコンを使った音楽制作やお絵かきにチャレンジ。 - にて再放送開始。 月曜~木曜日14:40-14:55に放送枠が設けられ、翌2000年3月8日まで放送される。 - のバラエティ番組『』で初代ゴン太くんが復活。 二代目ゴン太くんとの共演および、ノッポさんとの別れと再会が描かれた。 のバラエティ番組『』にノッポさんとしてテレビ出演。 ゴン太くんこそ出演しなかったものの、久しぶりにテレビ放送で再現された。 - CS放送およびの有料娯楽番組放送局にて再放送を開始。 同局ホームページにてゴン太くんをあしらったサイコロのぺーパークラフトを公開。 - 本番組のテーマソングのがのCM曲として使用される。 - NHK教育テレビ『』の生放送に、ノッポさんがゴン太くん(着ぐるみのみ)と出演。 番組秘話をクイズ形式で紹介したり、レギュラー出演者とともに工作をした。 ほかにも『みんなのうた』()でもおなじみのを生で披露した。 - NHK教育テレビ『』にノッポさんとゴン太くん(パネルのみ)が出演。 ノッポさんとして工作を行った。 (暦日上は) - 『』において、1988年4月26日放送回「こどもの日」と『なにしてあそぼう』の1シーン(NHKが現在所有する唯一の映像「箱であそぼう」の回から)、および最終回の1シーン(ノッポさんが喋ったシーン)が放送された。 - NHK『』で、ノッポさんとゴン太くんが出演。 - NHK『こどもの日sp'06』において、ノッポさんが『』を、ゴン太くんやに扮した子供達と共に、NHK前広場でライブパフォーマンス。 - NHK総合テレビ『』に高見がゲスト出演した。 なお、番組後半にはゴン太くんも出演したほか、1990年3月6日放送分の一部が放送された。 - 企業ブースにて、ノッポさんとゴン太くんが出演。 前述『グラスホッパー物語』の宣伝を兼ねてミニアトラクションを行った。 またこの時、の『』へのスペシャルゲストとしての出演も公表した。 - NHK放送文化賞を高見が受賞し、NHK総合テレビ『』において、受賞者関連のニュースを放送。 後日の放送(放送日不詳)では、『できるかな』のごく一部が放送された。 - NHK総合テレビ『』の1コーナーに、ノッポさんとゴン太くんが出演。 番組レギュラーであると絡んだコントを行う。 - 『』にて、『なにしてあそぼう』再放送。 1月 - NHK教育テレビの50周年記念番組にて、その他過去のキャラクターとともに、ノッポさんとゴン太くんが出演した。 - 『ETV50 もう一度見たい教育テレビ「初めて出会うテレビ〜子ども番組〜」』(NHK教育テレビ)にノッポさんが出演。 当番組以外にも『おじさん おはなししてよ』や『ブーフーウー』についても語った。 - 『あつまれ! キッズソング50〜スプー・ワンワン 宇宙の旅〜』(NHK教育テレビ)で、ノッポさんとゴン太くんが出演した。 ノッポさんは終始無口であったが、スプー、ワンワンにお礼言われ「 どういたしまして。 私も歌、大好きですから」と返事をして、スプー、ワンワンは「喋った…」と驚く。 - 教育テレビ50周年記念企画として、最終回が再放送される( 15:41~16:00 にも再々放送)。 2013年はテレビ放送開始60年である事から、特別番組などで過去の内容の一部が放送される。 - 総合テレビ『』「テレビ60年ボイス」では、どの放送日のものかは不詳だが、「本編」の一部が流れ、78歳になった高見とゴン太くんが出演した。 『』の番組告知CMとして、ゾンビとなったノッポさんとゴン太くんが出演するWeb動画『 NHKでゾンビドラマ、できるかな』を配信 、29年ぶりのノッポさん役となる。 また同時に『 NHK週末ドラマ、おもしろく、できるかな』の動画も配信。 - 「」のテレビCM「紙パッケージで、できるかな」篇にノッポさんとゴン太くんが出演、同日よりブランドサイトにて公開、翌4日からテレビ放映開始。 出演者 [ ]• ノッポさん … チューリップハットと、そこから覗くもじゃもじゃの髪の毛、長い足に・がトレードマークのパントマイマー。 タップダンスが得意である。 番組中一貫して一言も喋らずにいることがある種のトレードマークであったが、最終回にだけ声を出し、番組を見ていた幼児たちを驚かせた。 しかし、時期は不明だが工作中において小声を微かに発していたのをマイクで拾われている回がある(おそらく、最終回のうっかりと異なり本当にうっかりして出たものとみられる)。 『なにしてあそぼう』の頃は髪が短く、を被り、赤いを穿いていた。 ノッポさんの名前の由来は、演じた高見が身長181cmで当時としては背が高かったところにちなんでいる。 被っているチューリップハットは放映時期によって色が異なり、緑と薄い茶色の2種類がある。 近年の登場では緑のチューリップハットを被る事が多い。 なお、本番組放送終了以降、NHKの番組(テレビ・ラジオ問わず)に出演する場合は、「高見のっぽ」として紹介されている。 『なにしてあそぼう』終了とともに降板。 その後、 - 、『』内の「」という番組で自らが主役となり、2度目の勤めを果たした。 ゴン太くん … 操演 - (2013年11月21日死去、満81歳、日本人形劇人協会 常任理事) 人でもなく、動物でもない不思議なキャラクター。 「ゴン太」は大阪でいう「やんちゃ坊主」の意。 初代は放映3年目まで登場。 毎回作る物に合わせ名前が変わっており、2代目のような毛は無く、洗面器(実は西ドイツ製ベビーバス)をかぶったような風貌で、常に箱の上に座った姿勢で足の裏を見せた造形だった。 動けない設計だったため、ノッポさんと共に工作ができるよう2代目の姿に変わり、これ以降名前が「ゴン太くん」に固定された。 1974年4月1日生まれの身長175cm、胴回り235cm、足サイズ37cmだが、体重は20kgしかない。 大きな赤い鼻に、茶色で寸胴短足・眠たげな大きな瞳と、緑色のリボンが巻かれた黄色のがトレードマーク。 が大好物で、が苦手。最終回では、後任のゴロリにおにぎりを渡していた。 特徴となる「ウゴウゴ」という声は、 というブラジルの民族楽器の音である。 初代の人形は、廃棄されたため現存しない(ただし、フジテレビ『トリビアの泉』でこのことが取り上げられた際、復元されたことがある)。 2代目の着ぐるみは、番組終了により置き場に困っていたところ、制作に関わった八木紘一郎が引き取り、在籍するの造形室に保管された。 その後、制作者の枝常が短大を退職するに当たり、地元の幼稚園に再就職という形で譲られ季節ごとに衣装などを変えてキャラクターとして飾られている。 その名調子ぶりで子供達を楽しませた。 なお、ライブパフォーマンスを含む各種イベントにノッポさんの相方「キミちゃん」として出演している古家が、『』のコントでもおしゃべりを担当した。 映像の現存状況 [ ] 当時のマスターテープ()は非常に高価で大型だったため、放送終了後は消去されて他の番組に使いまわされていた。 保存をするようになったのは1980年度途中からで、それ以前の70年代の放送はほとんど残っていない。 で保存されている最古のテープは放送の「はたららくくるま」である(前身の「なにしてあそぼう」を含めても放送の1回分のみ )。 NHKではマスターテープが失われた過去の放送番組の収集(制作関係者や一般視聴者らへのビデオテープ提供の呼びかけなど)を進めている。 その他 [ ]• 高見映の著書『のっぽさんがしゃべった日』によると、最終回にのっぽさんが喋るかどうかについてスタッフ間で議論があったが、高見の希望で挨拶をすることに決まったとのこと。 また、実は不器用であることも綴られており、毎回スタッフが所定の位置にガムテープを貼る状態まで準備してくれたことも多かった。 これに関して、「周りが「言うな」とか「イメージが崩れる」って言われたんですけど、僕は正直者だから」と語っており、軽やかなステップと表情豊かな演技が多くの子供たちに受け入れられたのも「ぶきっちょだから一生懸命やれた。 できたときの笑顔は本当に心から笑っていた」という。 深夜(未明)には『』で放送分の『できるかな』が、深夜には放送分の『なにしてあそぼう』(NHKアーカイブスが唯一現在まで保存している回)が放送された。 『なにしてあそぼう』は、にもNHK BS-2で放送されたことがあり、それ以来の再放送となる。 番組放送中の取材記事はほとんど存在しないが、アニメ雑誌『』1987年12月号で、「みてるかな? できるかな」と題する番組出演者と主要スタッフのインタビュー記事が7ページに渡って組まれており、当時の番組制作サイドの生の姿を垣間見ることができる。 NHKの番組紹介でも、高見映へのインタビューや番組製作の舞台裏の紹介がなされたことがある。 このときは高見の生の声を聞くことができた。 2013年 ゴン太くんを操演していた井村淳が敗血症のため死去。 享年81。 11月中旬から体調不良により入院していた。 脚注 [ ] []• 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室 『NHK年鑑'71』 日本放送出版協会、1971年、125頁。 2005年3月5日, at the. 食品産業新聞社ニュースWeb. 2019年10月3日. 2019年10月11日閲覧。 2019年10月3日. 2019年10月11日閲覧。 1989年5月15日死去、満43歳• 第3回日本賞教育番組国際コンクール受賞作品(カラー)• 『』2017年3月17日放送分• 同番組では、日本テレビから『』リポーターのが、の局舎内を探検した。 2013年11月28日, at the. 外部リンク [ ]• (2008年3月8日時点の)• NHK教育テレビ 幼稚園・保育所の時間 工作系番組(1990年度以前) 前番組 番組名 次番組.

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